測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

リモート結婚式

久しぶりにストロングを呑んで何か書きたくなった。今も残り10分の3くらい残ってて呑みながら書いてる。もちろんその前に500ミリのビールと焼酎ロックを3杯は呑んでる。だから何ということもない。。とにかくストロングというものは粗悪なガソリンとしか言いようがない

でも昔もよく酔いながらどうでも良い、酔い文章を書き連ねてきたみたい。そんなことを思い返すと、なんだか変わっちまったんだよなあという気になってくる。好きなことが好きじゃなくなった、ああそういうやつね、と斜に構える自分と出会うようになった、若かりし自分のような人をTwitterとかYouTubeとか小説や漫画とかで見るたび共感性羞恥心で死にたくなる。その分大人になるのは爽快で、その分出汁が抜けきったようにとてもさみしい。でもなんか今日だって探るように書くから、私はまだ本当に抜けきるまでの過程なんだろうなとも気づくし、またこういう文章が書けてとても嬉しい。そしてやっぱりさみしい、ぐびぐび(のこり10分の25分の1

誰に何を言われようと、いや違うな、誰に何か言われたら極端に反応して当たり散らしたいけどできないから呪い呪って部屋の隅で三角座るまあ柔らかな心、それでも誰かに見て欲しくて見てもらわないとお金も稼げないと思い込んで若気の至を煮詰めまくりつつ無謀にも世界に挑んでいた。そんな一番最初の頃の自分がもはや勇ましく羨ましくもまぶしくも、気持ち悪くもしんどくもある。もう戻れない、多分戻りたくもない過去か、振り切っていない分今が一番悪いとも言えるか。知らないけど今夜は少し楽しい気もする。

 

先日大親友の結婚式がリモートで行われた。コロナの影響で大親友がリモートで結婚式を中継してくれたので、それを私の家でもう1人の大親友ときゃあきゃあ言いながら祝った。行けないことは前々日まで落ち込んだけど、祝杯の気分で腕に縒をかけ料理を準備でき、変な緊張もせずに(筋金入りの根暗なのでいつも結婚式はちょっとだけしんどいからこそ)好きな友達とリラックスして祝える状況にとても幸せを感じた。電波は悪く見たいのに見れない部分も多々あったし、生身の彼女におめでとうと一言でも言いたかったし、結婚式のためにプレゼントしたイラストもウェルカムボードや日程表やカードやらにたくさんたくさん使ってくれたみたいで生で見たかったし、肌で感じれない部分はもちろんあったけど、何はともあれ気持ちの通じた相手だと、こうして画面を通しておけば自分のテリトリーでよりリラックスして愛を育てられるなあと思ったり。この異常なご時世、飽きてきたにしろ恩恵も今だにあるなあとも思う、まあ飽きたけど。。とにかく私はあの日なんだかとても幸せで、一緒に見ていた大親友も同じように感じてくれていたらしい。それだけでもとても嬉しかった。

ストロングは無くなったから中途半端にお開きする。書きたいことはまだ割とあるような気がするし、なんにもないような気もする。