測りたがりの痛がり屋

イラストと一緒に、特に特別でもないけど愛しい毎日を、ぼちぼちお酒呑みながら書いて行きます。

何十苦

いつも考えを整理するために書く。書くことは割と簡単なのに、イラストはどんどん敷居が上がるような気がしている。考えすぎなのだ。

 

やりたいことがいつも散漫してしまうのが本当に辛い。

イラストといっても本当にやり方がたくさんあるから。やればやるほど見えてきて困る。気になっているのは、職人系イラストレーター(どんなイラストもある程度描ける。たぶん私は仕事の具合を見る限りここに近い、いろいろタッチ変えてやっている)、マイワールドイラストレーター(呼び方わからないけどとにかくかっこいいtheイラストレーターだ。美大です〜ってかんじでちゃんとその人独自の世界があって、企業はそれ求めて依頼する。めっちゃ憧れている)、ストック系イラストレーター(ストックフォトっていってイラスト販売サイトにこつこつ数万とかイラストあげて毎月社会人なみに稼いじゃってる人たちだ。めちゃくちゃ地味だけどいろいろ試行錯誤して基盤を作っててこれもまたかっこいい。私25こくらいしかあげれてないちょこっと稼ぐ程度。これも憧れる。後々不労所得のようになる、とにかく生きれる)

 

いいなー、ってよそ見ばっかりしている。ある程度器用だけど、器用貧乏なのだ。全てやってしまえばいいんだろうけどメンタルがもたない。どの方面にもすごい人がいるからいちいち戦っていたら当たり前にもたない。

そういう意味もあって自分が一番自分をカテゴライズしたがっている。定まりたいのだ。

ただ持っていないものに対する執着が強すぎる。すごく嫌な言い方で言えば意地汚い。大嫌いな部分だ。そのおかげで頑張ってこれたとも思っているが、そのために定まらない。本当にこれが好き、というのも定まっていないんだと思う。

 

定まらないためになかなかホームページを作ることができない。恥ずかしいんだ。。なんか三重苦以上抱えている気がする性格。難ありすぎだろ

少し仕事が落ち着くとがががと考え込んでしまう。まだ仕事的には苦しんでいないけど、来年にはわからない。考え込む時間が必要なタイミングなのかも。プラス思考なところはとことんプラス思考だなー。

何を削ぎ落としたいかっていえば欲ぶかさだけど、たぶんこれがなくなったら楽しくないだろうな。ある意味楽しんで生きているんだろうな。腰据えて悩んでみようかな、書いていくうちにそんな気分になってきた。

もっと描こう

おしゃれぶったり誰々風になったり今時風を意識したりと定まらない、創作とはほとんどがかっこ悪いもので、洗練されたかっこいいものはすぐにできたりはしないんだなと、当たり前のことにとても驚く日々だ。

乗りかけた船はちゃんと、漕ぎ、どこか素敵な場所にいきたいものだ。

もっと勉強し、もっと描き、恐れず発表していこう。

美大行ってないから、とか年齢が、とか環境が、とか言い訳しない。自分を責めない。

 

そして勘違いしたくないのは、中途半端だったり出来上がっていないものもそれはそれで作品だということ。

誰よりも自分のファンでいることだー。

ここのブログには思いの丈をぶつけてすぎているけど、きっといつかおばあちゃんになって見返したら面白いと思う。

 

今日は考え勝った

イラスト描くときのテーマ、私はこれがとても苦手で、言われて描くことはできるけど真っ白な紙を目の前にしてイラストにするのがあまり得意ではない。もうその時点でイラストレーターとしてまずい。

そうしてまた落ち込み、考えすぎて時間がすぎるのが常だけど、向かい合えば会うほど、やはり成長するのが人なのかしらと思ったりした。今日1日の心の変わりようが面白かったので、後ほど自分も見返せるのではと思い書いておく。

仕事、今全て返事待ちで時間がある。そうでもないと私は仕事に逃げる癖があるので、ちゃんとイラストについて考えて(手は後半少ししか動かせなかった)割と良い1日だったように感じている。
 
まず自分の心を占めるものは陰か陽か。
もちろん私は陰なんだけど、気づけばそれを否定してしまうんだ。陰は気持ちのいいものでもないから隠そう偽ろうとする節がある。優等生のあのイラストレーターに、憧れのあの人たちになろうとして自分をまるまる否定しちゃう。何度それは違うと思い直してもまた否定する。厄介だ。
そして話は戻るけど、イラストのテーマ。自分の陰を描けばいいんだ。。
もー!当たり前のことを忘れる。私のテーマは陰、なんだ。一番占めてるのにそれを描かずしてどうするんだ。陰を描く時に、色使いや表現など、それは仕事で学びつつあるだろうから、技術で明るくしたりポップ化したりすることは可能。そこで戦えばいいのだ。陰を柔らかく詩的に、ときに面白く表現すればいいのだ。それはそれでひとつ、とても面白いことになるはず。
 
世の中のすごい人になろうとしないで、私の持ち味ともっと向き合うことだ。陰に飲み込まれないで、もう少し俯瞰でみれるようになること。手を動かし技術をあげるためにもっと仕事して、もっと余裕作って、もっと自分を表現してやろう。そう言う意味でまだスタート地点だ。本当にカタツムリのようだな。よし、よし、がんばれ。

また推敲もせず書くけど

(今までだってそうだし進行形でもあるしこれからだってそうだろうけど)ここ最近、自信と、自身もなくなってしまっていてすごくふらふらしていた。

周りのすごい人、手の届かない自分の世界観を確立したイラストレーター、自分と同世代で活躍しているイラストレーターなどとどうしても自分を比べてしまった。

私は本当にイラストレーターと名乗っていいものだろうかとも考えた。

良いところが本当に見えなくて、最近また頑張ろうかなと思い始めたtwitterも、考えれば考えるほどよくわからなくなり、何呟いてもダメな気がしてしまったり。そうして一人、また一人と私のことなんかなんにも知らない観察的なフォロワーが減ったり増えたりすることに一喜一憂して、バカみたいだった。

 

考える中で、考えすぎな部分と、的を得すぎている部分がある。

考えすぎて足踏みして、的を得て自分を振り返ることはできている部分もあるのにその足りないと自覚している部分さえ考えすぎて補う元気がなくなっている元も子もない感覚もある。

 

そんな中、食べなきゃいけないので仕事はちゃんとしていて、久しぶりにとても良いクライアントに会って、今は少し救われている。

そのクライアントは、私の仕事に感動してくれた。それだけで少し背筋が伸びて前へ進めた。

 

今は少しだけ、私にも良いところがあると思っている。

私は元々の心の体力が少ないので、これからクリエイターとして咲けるのか、咲きたいのか、咲き続ける元気があるのか、正直自信がない。ひっそりと仕事したいという気持ちもある。それなのに捨てきれない気持ちもある。

 

でも私に感動してくれる人がいる限りは、ちゃんと頑張りたいと思っている。

 

 

軌道修正

今月はめちゃくちゃ疲れた(というのは先月は私史上一番稼げたと思いきや今月は急に仕事の雲行きが悪くなり、どれだけ努力してもなかなか仕事に繋がらずモヤモヤした毎日を過ごしたため)のだけど、そうだろうな、そりゃそうだろうなと思ってる。

客観視がいつも以上にできた気がするという意味では、こういう時間も悪くないなと思えた。(今現在は。かなりここ最近落ちていた)転んでもただでは起きたくないし。

日頃努力していない訳ではないのだけど、自分の売りを提示する、という面での努力をしていない。ホームページも作れていないし、伝えたいことややっていきたいことを明確にしていない。むしろそれでよく今のところ食べれているよな、イラストでありさえすれば仕事を選んでいないからというのもあるけど。

自分から、私はこういうところを売りたいんですというアピールも一切していないし、それはカッコつけているのとめんどくさいのと、売るまでの自信がないのと、自分でもわかっていないのと、理由はいろいろある。HPを作れていない原因も、単に作る能力がないのと(お金さえ出せば作ってもらえるし自分で勉強するという方法もあるが)イラストの形や方向性が決まらず迷いがあるからだ。ただこれじゃあ個人営業として個人を売る、という部分が疎かになりすぎだ。非常にまずいぞ。

一人での戦いは探り探りだしひたすらに寂しい。でも試行錯誤は面白い。自信がないようで、自信はある。ずっとずっと落ち込んでいたけど今は前向きだ。(まあまたすぐ落ち込むけど)

ありえないくらい仕事抱えてたときにかなり稼げて両親にやっと孝行できると張り切っていたけどまたその夢が遠のいた今、私は少し立ち止まって考える。信仰が深いわけでもなんでもないけど、私には昔から神さまがいて、こうやってしんどい時は、多分彼が私に警告をしている時だしちゃんとまた前向こうと思います。軌道修正。

ふたつの人格

他人の憶測を憶測しては、自分を見失い貶し焦燥感を抱いたりといつまでたっても思春期のような柔らかく見苦しいものを持っているかと思えば、どこかで冷静になり始めた自分がいて、私は一人じゃない、ちょっとした二重の人格を持っているのではと思う。そんな感覚、皆もあるのではないか。

先日酷い食あたりで救急車で運ばれた!ときも、苦しいのは体で、冷静な脳みそがいたけどまあそれは違うか。まだ脳がゆらゆらとして定まらない。力が入らない。

気分転換に始めたBarのバイトは週1入るか入らないかで、年下の女の子達と仕事するんだけど、年関係なくしっかりした子はしっかりして、時になんだか自分が恥ずかしくなる。おじさんには人気あるんだけど、愛想だけはいいからだ。それは一応は荒波にもまれ、彼女達よりは人間と触れ合ってきたからだと思うけど、年を重ねるたびに、人間の出来具合がいかに年齢と関係ないかを思い知らされるようだ。バカは大人でもバカだし、ちゃんとした子は若い時からちゃんとしてて、年齢で人を決められないんだよな。

都会にいると、道を歩くだけで私のような童顔は、目つきをきゅっとさせて冷たい顔をしないと変なやつに話しかけられる。そのような感覚で私はしばらく人生を歩いている気がする。荒んでいるのではなくそれは処世術のはずだったけど、私はもっと優しい目をしていたはずだ。

いろんなものが削がれていってしまったら、果たして私はなんなんだろう。