測りたがりの痛がり屋

イラストと一緒に、特に特別でもないけど愛しい毎日を、ぼちぼちお酒呑みながら書いて行きます。

土日もないことにグズグズ拗ねていて、でも暇だったらもっとグズグズしているだろうと自分をなだめるんだけど、それでもしんどいことには変わりがなくて、なんて生きることは億劫なんだろうと思う。思いの丈を書かないと前に進めないと思いこうして書き拗ねているんだけど。家が仕事場って思った以上に居場所がなくなる。お金を貯めてiPadが欲しい。外で仕事がしたい。こんな晴れて空気の澄んだ日に、外に出れないのは悲しい。でもやらないとのちの自分が苦しむ、それなら今やっておきたい。好きなものは後に残すタイプだ。ハマチやサーモンは後だ。なんのこっちゃ。最初に良い思いをするより、あとの解放感だったりを楽しみに今を苦しむ。手を動かす手を動かす、呪文のように自分に言い聞かす。継続してやってることは絵を描くと酒呑むだ、なんだ立派じゃないか

仕事について考えること

最近よく思うのが、何かを失った方が人は強い、ということだ。過去を振り返ってみても、うまくいっていない時や、コンプレックスを強く感じていたり自分に自信がないときに、ここぞとばかりに頑張っている。欲しいものを手に入れすぎたり、少し天狗になってしまっているときは、最終的に見て失敗も多い。目の前のものを杜撰に扱っている節さえある。欲しい、満足したいという感情のエネルギーは計り知れないし、得て終わり、というわけにも人生いかないのだ。踊り場に一度出たなら、次の階段を見つけていくものだ。ひとつひとつのお仕事に、真摯に向かう気持ちを、絶対に絶対に忘れてはいけない。天狗になっている場合でもない。ちゃんと自分の能力を正確に良いも悪いも見極め、それ相応に自分を売り込むなりしないといけない。

 

負の感情はあってこそ人は頑張れるし、毛嫌いしていた感情に、愛着さえ湧く。おもしろいおもしろい、生きることは面白い。私は仕事が好きだ。もっと好きになるために、工夫を凝らして、うまくいっている時もうまくいかない時も、やることやれる人間になりたい。仕事すること、食べること、すなわち生きることが好きなんだとわかってきた。

バズった話

ここ最近ダッダッダッダッと天井で子どもの走り回る音が絶え間なく聞こえていて、けっこうしんどく、天井ドンがしたい。どんなに愛くるしい子でも、日常や仕事を阻害してくるとあれば悪だ。悪だよなあ、みんな自分を生きなくてはいけないからなあ。そんなことを年明けにブツブツ言うのはよそうとは思いつつも

明けて、始まって、スローに動き出している。昨年末はTwitterに乗せた漫画がバズり、13万いいねをもらい、いくつか記事にもしてもらった。Twitter民のやわらかい部分をたまたま突いたんだろうけど、年終わるいいタイミングで気持ちよくバズった。バズる、独特な表現だよな、でも嬉しかった。ここ何年かしんどかったので、こういう形でもたくさんの人に見てもらえて純粋に感動した。いつまでたっても永遠に続くように通知が鳴り止まない(音は消してたけど)ことは初めてで、現代ー!ってなんども思った。千を超える時、一万を超える時はその瞬間を目で見た。妹や両親と歓声をあげた。でも10万を越したら、もう携帯は見なくなった。仕事を静かにした。話題になってみたいと思っていた自分は、叶ったことであっさり去っていくようだった。随分フォロワーも増えたけど、もっとフォロワー欲しいなと向上心で思ったり、この際Twitterやめようかとも考えた。呟く自分も呟きを見る人も、ちょっと判定するような?構えというか、うまく表現できないけど、お話が純粋に見てもらえないというか、私は自分のお話は自分で守りたいし、あの、いいねの数やフォロワーの数などで評価が変わるような気がするし、流行り廃りも関係したり、なんだか人間による人間のための居場所が、鬱陶しいような 面白おかしいようなちょっと美しいような、私はまだこのSNSがよくわからない。あまりかまけず、うまく付き合っていこうと思う。

お話作りに関しては何かしら見えてきたし、自分が長年描いてみたいと思ってたものがちょこちょこ目の前に現れ出している。絵をもっともっと描いて、表現力つけて、流行り廃りに騙されない、ちゃんと力持ったイラストレーターになる。ただそう言いながらも、私は今日もどこか落ち込んでいる。

年の瀬

今年も終わるんだなと、締まりのない頭で考えてる。今年が終わっても、私はあまり実感が湧かないはずだ。

今同時進行で6つほどイラストのお仕事をしている。どれも人と比べられる中我が我がとアピールして、コンペやプロジェクトで何十人から自分で勝ち取った案件だ。今年は本当に偉かったと思う。まじめにやった。自分で仕事をするようになって半年が経った。上々だと。

反省としては、やることは大量にあるはずなのに、一人で仕事していると無性に悲しくなったりするのが進行を遅らせている。来年はもう少し、自分のこの生き辛い性格を調教し操れるようにしないと未来はないと思う。それに、言われたものを描くことをしばらく続け画力表現力共に上がっていったら、ちゃんと表現もしなくちゃ。ブログは忙しいのもあって少し、やる気がなくなっている。私は弱い。こういうところが弱い。さっき自分を褒めてみたけど、全然満足なんていってないからな。

 

思考回路について。同じような内容で何周かして、そうしていけば今まで気づかなかったもの、道端の小さな雑草のように、回路のほつれ、抜け道が見えてくる気がする。大人(おっとなー!ってやつじゃなくて、歳を食っていくこと、人生の後半部分を大人と呼ぶとして)ってこういうものなのかしらとぼんやり思ったりする。そういった、まさにその思考回路が道草なんだろうなと思いながら、考える時間がありすぎることが今は怖いし、自分が世間から浮いていく気がする。

でもその間、いろんな人と呑んで話して美味しいものをつついて、流行り言葉や男性についての見解や、自分のこのモヤっとしたなにかを酒と一緒に流し込んでいる。モヤっとした何かは、モヤっとしすぎて人にはうまく言えない。それよりは、人の話を聞いているほうが全然楽しい。来年は、みんなどう変わってくんだろうな。私は、どうなっちゃうんだろう。

正解をもう探したくない

なんだか理由はよくわからないけど、がっかりしている。押し殺していた部分がこんこんと湧き出て、そろそろ溢れてくるころなんだろう。一人でいるからだとも思うけど、私は決していつかから良くはなっていないんだなと、少しづづ確信している感じだ。

 

私は基本人には興味がない。愛嬌には自信があるからよく勘違いされるけど、悲しいかな、そんなに他人に興味がもてない。それなのに好きだった人と離れたことも原因の一部にあるのかもな

 

悲しい、静かにずっと落ち込んでいる。

 

なぜ人間関係や生き方には器用でいれないんだろうかと考えると、幾通りの生き方や人間が居て優柔不断で選べないという理由もあるんじゃないかな。正解を追うことを早く辞めたい。正解はこの世にない気がしている。

 

好きな人をもっと大事にできるようになりたい。

自分をちゃんと受け入れられるようになりたい。

ちゃんとしたい

翻弄されたくない

カッコつけるのを辞めたい

自分が正解だと言いのける自信と自身がほしい

 

 

 

いつか落ち込んでいる私へ

全然書いてる暇じゃないけど書く。いつかまた落ち込んでる私に向けて書く。今、少しずつうまくいっている。仕事は単価はまだ低いけど、いっぱいこなし始めたし、感謝はしてもらえるし、どんどん上手くなって表現も豊かになっていくし、前よりも多くのことが見えるようになった。なったんだよ。なったんだ。君はすごく頑張っているよ。手をしっかり動かしている。いつかの私は頭や口ばっかだったから、進化していると、本当に私が一番私を知っているし、正当な評価できる。自画自賛は、恥ずかしいことではない、むしろ大事なことだ、しなくちゃ。

 

Twitter、最初はなんだか変に癖になってやめた方がいいかなと思ったほどだけど、いまはその場所で信じられないほどたくさんの人が絵を描いて、葛藤して、おんなじような苦しみを抱えていることを知った。すごく励まされるんだよ。同じ年代の人だって、当たり前だけどたくさんいて、いろんな悩み抱えて、それぞれが生きてる。知れてよかったよ。この距離感がいいから特段仲良くなろうとは思わないけど、でも、こういうのって現代の良いところだよな。SNS悪いところばっかじゃない。

 

どうせまたすぐ落ち込むんだろうけど、その落ち込みだって悪いもんじゃない。思ったより無駄は少ない。回り道も大事だったりするから、ぜんぶぜんぶ消化して、しっかりと花を咲かせるんだよ。すぐ散らない、しっかりした花を咲かすために、今はじっくりじっくり向かい合うんだ。

夏から秋へ

良い天気だ。秋晴れだ、日本においてこんなに良い日は、365日で一体何日あるのかな。

 

私は暗く寒い湿った場所が大好きだけど、こういう日は丁度いいくらいに明るい世界と暗い世界の境界線に居れるような感覚があって、優しい気持ちになる。

 

ただ最近は失うものが多すぎて、悲しみや妙なだるさがある。

私が手放したのか、それらが私から離れて行ったのか。

 

私はいつかより、だいぶ誠実に生きれるようになった。嘘や偽りに飽きた。そういうものはアクセントや、男女の駆け引き、何か人が喜ぶタイミングで使うのがいい。

 

若い時は自分がよく見られたかった。自信の無さからだ。でもそういうのは歳を重ねると変わってくるんだね。よく見られるよりよく魅せたいという気持ちは今でもあるし、イラストレーターという職業でも大事な感覚ではある。でも偽るだけでは、物事の真髄というか、相手や自分がどのように感じているかなどが見えなくなっていくから、人間として生きていく上での面白さが半減されていくんだ。私自身がクリアになって初めて、見えてくるものもある。私が変わり始めてから、人のことも選ぶようになったと思う。

 

誰にでも優しくしている時間はないよ。偽善で生きていけば、本当に大切なものが分からなくなるだろう。好き、少し好き、普通かどうでもいいか、少し嫌い、嫌い、大嫌いという名の大好き。カテゴリーは増えていくし、どんどんと見る目も磨かれていく。お酒や食べ物の好みが変わっていくように。

 

大人になることは面白い。同時に少し、悲しい。

もう少し、おばさん、おばあさんになったらまた変わるのかもしれない。

元々が、こういう冷たい奴だったのかもしれない。

 

黙って歩いてみよう。