測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

なんにもこれといった死ぬほどガッカリ事件などもないというのに、どうしてこう気持ちが終わってしまっているんだろう。それとも小さなガッカリがたくさん集まってこうなっているんだろうか。

生きることはお金を稼ぐことではないのに、生きるためにはお金がいるからみんな思考回路がおかしくなっている。生きることにそれといった答えがないからさらに混乱している。もう一度言うけど、生きることはお金を稼ぐことではない。お金はただのどこかに自然発生した物体を加工して価値あるように見せているだけなのに。マヤカシに狂わされる、そうだ人間なんてはなからそんなものだった。

 

見えてはいなかったもの、見ようとしなかったものがどんどん見えるようになる。幽霊に突然気づくみたいにして、私は毎日怯えている。

どんだけ頑張っても自信がないし、おしまいにしたいと考えてしまう。

専門家に相談しようか。でも、相手自体も人間だからその時点で信頼できないかもしれない。

そろそろあの子に会いたい。あの子はそうは思ってくれていないんだろうか。

 

石垣島にて

石垣島へ来ている。

ノートパソコンがあまりにも便利でかわいくてかわいくて仕方がない。いろんな島のいろんなカフェで仕事している。

 

楽しい旅の話を書きたかったんだけど、少し思うところがあったからそれから書く。

昨日泊まった宿で、おじいを囲んで宿のみんなと宿のオーナーと呑んでいるとき、おじいがかなり女性軽視的なセクハラまがいなことを話し始めた。同年代の女性もいたんだけど、普通にウケて笑っていて、私はどうしても笑えず、お酒が入っていたのもあると思うんだけどどんどん悲しく惨めになってしまい、途中から嗚咽まじりに泣き出すという情けない事件があった。

他の宿でも、いろんな人と深くまで話し込んだりしたんだけど、男性運が今回は少し悪く、ある人には腰を触られたりある人には手を繋がれたり、私はそういうのが最近めっきり苦手になってしまい(実は今までは割と平気だった)、旅は楽しかったのにそういう部分で結構ストレスを感じていたのもあったのではと思う。男性が悪い、というより自分に何か原因があるんだろうという自問自答、自己否定を始めていたし、男性の気持ち悪さというものにとても強く反応してしまうようになっていた。私の愛想は何か勘違いさせるものがあるんだろうし、人に対して心を許しすぎる部分があるんだろう。

涙がどうしても収まらず、途中で宴を抜け出した。

宿に帰るまで彼氏に電話しその間もずっと泣きじゃくっていた。

ぐるぐると歩きまわり電話していたのだけど、そろそろ涙も収まり、なんて恥ずかしいことをしてしまったんだと落ち込んでいると、店のオーナーが私を探しにきてくれ、「いいんだよ」と言ってくれた。

彼は40代の男性で、顔つきや態度は繊細そうな人なんだけど、夕日を見にみんなをケートラで連れて行ってくれた時に(広い海と夕日は死にそうなくらい綺麗だった)この寒い中海に飛び込みクロールで遠くまで泳いでいったりと、結構大胆で変人っぽかった。「いいんだよ」は彼の口癖で、どっかのCMみたいだけど、その時の「いいんだよ」にはめちゃくちゃに救われてしまった。

 

明日でこの旅は終わる。毎日ゲストハウスや民宿に泊まり楽しい反面疲れたし、今日は良いホテルに泊まっちゃう。そういえば腰に手を回してきた男が、いいホテルを取ったから遊びに来るか?としきりに言っていたけど、バカじゃないのか。私だってちゃんと稼いでいるから泊まれます。下心だらけじゃないか。

 

この文章は、朝4時に起き、昨日夜に来ていた修正を宿で済ませ、7時に港まで歩き、フェリーを待ちながら海を見ながら、パンパンに腫れた目で書いているんだけど、何が言いたいかって、この旅はなんだかんだ言ってもとても充実していたということ。嫌なことや悲しいことも、人生と同じようにあったけど、自分を見つめ返す良い機会になったと思う。

どうなる坂

色々まだまだアンバランスだな、と思いながらいる。アンバランスさは時としては良い個性になるし、あえて狙ったものさえあるけれど、自分の納得がいかない、制御が効かないタイプのアンバランスはほぼコンプレックスと変わりがないように思う。

前文を証明するなら、今そのアンバランスさについて書いていたけど全部嫌になって消してしまった。

 

昨年末からずっと凍ったような心でいる。それが色々諦めてしまうためなのか、単純に少し疲れているのか、路頭に迷っているからなのか、多分全部当てはまりそうだな。

 

でも、絵だけはずっと描いているな。それは誇らしい。職業になったから当たり前かもしれないけど、全然頑張っているからタチが悪い。だから凍ったままでいいような気になっているのかも。

 

自分が特別な人間だと思うか?

私は特別な人間とは、自分のことを特別な人間だと信じ続けられる人だと思う。

私はだからずっと信じていくと思うし、思っている限りはそれは真実なんだと思う。

 別に特別な人間である必要はないと思い始めてもいるけど、自分の可能性を広げるためには自分のことを信じられる人である必要がある気がする。

そういう意味で、私は自分を信じているし、特別であるとも思う。

自分を囲う霧のようなものは、昔から変わらずあるけど、時々晴れてはまた曇って

を繰り返し、その濃度はどんどん強くなってもいて、晴れることが難関にもなっている。だけど次に開ける時は、案外遠くない気もする。ただの予感だけど。

快適さ

イラストは自分の手から生まれるものだから、疲れていたりやる気がなかったりすると顕著に現れて、逆に楽しんで描いたり意識をグッと入れて描くと、全然違うものができてすごい。書くと当たり前だけど。。最近自分の絵と何より意識がまただいぶ変わってきていると感じる。現にクライアントからも良い意味でそう言われるようになってきた。イラストは脳と直結しているし、脳との直結を意識するようになった。見える景色が変わっていくのが、真剣にやればやるほど鮮明に分かる。絵は面白いな。最近創作というよりは仕事にうつつを抜かしているけど。今は必要性を感じない。

 

かくていしんこくはしんどかったけど出し終えた。改めて自分の収入を見るとまだまだだけど、デザイン会社にいた時よりかなりアップしていた。体も健康だし、心も割と元気だし、フリーランスをさらに板につけるべく青色にもするつもり。とりあえずレシートとか見たくもないけどもう少ししたら帳簿つけて共済にも入って整える。初のmacbookも迎え入れた。

どうせ死ぬんだから、無理はもうしない。って最近真剣に考える。

悲観的なんじゃなくて、私はその考え方になって現時点でかなり自由を感じているのだ。死なない程度にちゃんと稼いで、シンプルに生活がしたい。

 

飲み会だけは相変わらずたくさん参加して、久々の顔ぶれを見て嬉しくなったりしている。変わったようで変わっていないみんなと、酔っ払ってご飯をつつくのが本当に楽しい。少し落ち着いたら、ツイッター関係で会いたい人に会っていこうと思うけど、人見知りが邪魔してずっと忙しくてもいっかななんて思ってしまう。1人の時間が長すぎて、どんどんひとりが快適になっていくのだ。

 

 

 

変わること

ある時まで「変わること」が怖くて悲しくて仕方なかったし、多分私のテーマでもあった。きっと手に入らないからこそ永久がほしくてほしくて、ふと思いやって涙が溢れるような駄々っ子センチメンタルオンナだったのだけど、今はどのように変わっていくのかに俄然興味が湧いてきている。まずは見た目。このまだ張りのある肌がどのように伸びていくのか垂れていくのか、怖いものみたさでもあるけれど、ふと鏡を見て想像する。少し前まで一度も想像したことがなかったのにだ。永遠を渇望していたはずなのに、まあだからこそ考えないようにしていたのだと思うけど、そんなに恐ろしかったものが、今では見ないまま死ぬのは少し勿体ないなと思い始めている。

もちろんこの考え方はある程度飽き飽きする思考回路を順繰り巡り長い時間を経てやっと見出した新回路であって、その道は細く頼りなくただゼロではなくなったというだけ。変わらず老けるのは怖いしやっぱり悲しい。でも人生という道のりが、この世に生まれ落ちそれぞれに与えられたアトラクションであるなら、急降下も味わってみたい。登り切って良い景色やら絶望やらだけ感じただけで急に死にたくない。落ちてみたい。見たことのない感じたことのない思いや目眩をしてみたい。そして降り切ればなんらかの安堵と気持ちの良い諦めと、若き日のように浮き足立つこともなく世の中がもう少し鮮明に見えてくるのではないかと。(目は老眼で見えなさそうだけど)

30手前でこのように考え方が変わるなら、四分目五分目と進めばさらに新しい思考回路を見出せるはずだ。神様が生かしてくれる限り、ちゃんと精一杯生き続け、生を楽しんでみたい。

死ぬまで生きる

健全で高単価で、イラストを描くことがさらに面白く楽しくなる仕事、最高だ。商品のビジュアルになったりWEBでアニメーションになったり、広告漫画もたくさん描く、パンフレットやおしゃれなサイトのイラストも描く描く描く。いまいち無名でも、たくさん描いて求められもして、もう全部夢かなったみたいで、なんだもう仕事以外なんにもやる気しない。今を上京したての自分に見せてやりたいけど、驚愕され喜ばれ最後に思い切り殴られそうだな、こんなに目が座っていては。美味しいものを食べた時みたいに語彙力がなくなるけど、生きれるし、余裕も生まれるし、とにかく最高ではある。好きなことで生きてるなと思うし絵はずっと好きだと思うし、お酒もたくさん呑んで美味しいものを食べるしこれは本当に幸せなことだと思うけど

不思議なくらい、全て放り投げて精神的な樹海を彷徨うことは全く減らず、ふとした時の虚無はどんな幸せにも打ち勝てないエネルギーで、飲み込まれそうになる。まあでも幸せなんてわたあめみたいなものですぐどろどろ溶けてしまうし、そんなものだったんだな!?とやっと理解し、それに気質も気質だからと諦めかけていて、でも実際渦中にいるとマジで辛い。生きる意味が分からなくなる。というか、あれ、生きるってそもそもなんだ???というのが最近の思考回路で、生きることの意味より、生きることにあまり意味がないこと、ただ私はここに生まれそして死ぬのだ、という当たり前の事実に急にびっくりしてしまっている。当たり前なのに、意味がやっとわかったような。思春期から上京からイラストから闇雲にとにかく「頑張らなくてはいけない」のだ、頑張らないとダメなのだと自分に言い聞かせてきたけど、それは強制されるものではなく、ただ自分で頑張りたければ頑張ればいいのだということ。なんかもう青天の霹靂だ。もうそこまでこうしろああしろという人が周りにいないからこそ、自分で全て選択できるからこそ、よく分からない常識を篩にかけていくと、そこには何もない至ってシンプルな生と死が残っている。世の中の、若いから歳だから女だから男だから美人だからブスだからアホだから賢いからなんかが、どんどん馬鹿らしくなる。どうでもよいじゃないか…と樹海の中で考えながら、目を覚ますと自分のお腹の肉が気になりジムへいく。いざ死ぬとなったらと考えたらめちゃくちゃ生きたいと思う。

自分は紛れもない人間で、荒んだ振りをしてもそれ含め生き生きしている。恥ずかしい生き物だと我ながら思う。

ちゃんと生まれ変わってしまった

新年で希望に満ちた気分になっている。ちゃんとこういう新たな気分になれるから年末年始はいいなあと素直に思う。親友の初彼氏に会えてめちゃくちゃ嬉しくて日本酒を呑みすぎたり、親友は相変わらず大好きで本当に彼女がいなくなった世界が想像できない。もう1人親友とも言える親戚の女の子はかわいすぎる赤ちゃんを産んでもう7ヶ月(包み隠さない大胆な性格の彼女はまさかの産むシーンの動画を見せてくれて衝撃だった、正直怖かった。赤ちゃん出てきた時はごめんだけどとてもとてもグロくて、母親と子でしかわからない感動があるんだなと思った)で、ちっちゃな服やらスタイやらあげてとても喜んでくれたり、父方のおばあちゃんにもたくさん会ったし、母とは諏訪湖で泊まり美味しいご飯と貸切露天風呂でリッチな気持ちになって、お腹がいっぱい胸いっぱいで胃痛がすごく、帰宅後は野菜ジュースでファスティングして今日は煮物をたくさん煮てゆっくりご飯を咀嚼した。人々の人生に思い馳せ、昨年とこれからについてもゆっくり咀嚼して考えて、私は今最高の根明に生まれ変わったのである。

 
悪いところに目がいった昨年だったけど、その分私にはたくさん伸びしろがあるしもっと良くなれる、とか本気で生き生きと思てて、私はまだまだみずみずしいよ、この調子で生きたいよ。ずっとずっと青臭くいたいな、いれなくなっても、カビ臭くだけはなりたくない。ちゃんと進化していきたいものだ。
 
 
さっきまた久しぶりにノンフィクションのマキさんの老後がやってたけど、人生が上向きになってよかった。あと年取ってもたまにぞっとするほど美しいマキさんがすごい。ああやって返り咲いた?2人を見るとテレビの力もすごいなと思うし。でもあの2人は注目されるもの持っていたから必然かな。歳をとるって、まだまだ正直悲観的に見てしまう。失うことが基本的に人間は苦手だと思う。得ることは得たらおしまいなのに。実は何事もどのようにも受け入れられるし、どのようにも受け入れる力がつくことなど、歳をとることは多分、良いところもあるんだろうし。体力が落ちたり若さが失われるのは見ていて辛い。先のことを考えて不安に思う気持ちはなくならないけど、それはマキさんたちだって同じみたいだし、大丈夫に思いたい。
 
 
しかし、、リセットがすきという節があるな。引っ越しとか仕事が変わるのとか。。マンネリが本当に苦手だ。せめて周りのせいにしないで、自分の性格をもっとうまく操れるようになること。適度にリセットさせるなど。あとは単純に痩せまくりビキニをきたい今年30にもなるのにまだ着たことがないから。
 
私のドロドロしたものは少しだけ消えたから、また積もらせないようにうまくやりたいなーやれないんだろうけどちゃんとイラストや表現で昇華したい。根明が過ぎる