測りたがりの痛がり屋

イラストと一緒に、特に特別でもないけど愛しい毎日を、ぼちぼちお酒呑みながら書いて行きます。

あ〜〜

イラストと一対一で向かい合うようになってから、否が応でも自分の力不足を感じ、イラストレーターとして名乗っていいのかわからなくなっている。私は美術学校も出ていないし、そんなこと気にしていないと思っていたけど、やっぱ気にしていたわ。自分を騙して生きていたのかもしれない。いろんな人のイラストを見て、THEイラストレーターと自分を比べて、表現力のなさに気づく、それがアイデンティティですとか、もうそんな若いこと言えない。明らかに彼らと私は違う。今仕事のひとつに永遠と写真の模写のようなものをやっていて、そうやってあるものを描くのは得意だが、その他の仕イラストはいまいち表現力に欠け、魅せ方がへただ。漫画寄りで、漫画も中途半端なのだよな。まあでもどっちも頑張れば得れるはずだし、悩んで成長するしな、まだまだ過程だって思うは思う。でも恥ずかしい、ずっと恥ずかしい。まだまだ世の中には出れない。特に目立ちたくもない、でも愛されたい。ただただ愛されたい。芸術はわからんから、私らしくいこうと思って描いてきたけど、ちゃんと一般的なイラストレーターと人間的な悩みをごっそり抱えてしまった。年齢だって、28か。まだまだ若いと言いながらも、もうそんな年って驚いたり。泥臭い。

 

頑張ってはいるし、頑張れるけど、ようやく一人でおしごとも慣れたけれど。誰かもっと褒めてくれないかな。でも自分で自分を褒めるなら、ちゃんと独特のセンスや愛はあるんだよな。自分でいうしかないよな、誰かこんこんと、夜、酒でも飲みながら私を褒めてはくれないだろうか。安い奴なので、そんなことあったらあてをなんでも作ってあげるよ、ははは、はーまた酔っ払ってこんなこと書いてしまった。

明るい時間

とってもとってもとーっても頑張ったのでテンションが上がっている。またこんな夜中から飲み始めてもいる。一生痩せないよ、、、

私の満足のいく頑張りは、雑念にやられずやるべきことを滞りなくやることだ。それだけ普段雑念にやられているとも言えるけど、確実にいつかよりは集中力が上がり、満足のいく1日も現れ始めた。と同時に生きるためのイラスト仕事以外の、自分の表現はご無沙汰感がすごい。倦怠期のカップルって表現がぴったり。愛してるけど、忙しいし、なんか後回しにしちゃうのだ。でもやりたくてたまらん、本当は。ツンデレのように見つめ、失恋のように心閉ざし、ボコボコと変容する思いに気後れし恐れおののいている

 

いろんなことが起こっていろんな人と会っているのに、自分のこと以外は全然うまく話せない、昔からそう。でも実となり言葉となり、全てが私の中で生きていると嘘偽り良いコ被りなしに思うし、ずっとこうやってフワフワと汚く生きてやるし、そんな自分嫌いではない。正直に、自分を生きてやろうと思うのだ。どんなこと言う奴も、そんなこと言って自分を生きるしかないのだ。なんだか楽しくない?嘘に溢れる世界とされているかもしれないが、それさえも正直な世の中なのではない?汚いは美しくない?もっと生きたいよ。

 

 

 

30分酔論

さっきからの30分で高速酔いしてるのであまり書かないほうがいいだろうと思いつつも、酒の力を借りて私はこうして意味もないことを自己満足で書く。

私は生まれてからずっとしんどいという愚痴と、愛情や恋愛における屈折と、仕事に関する生々しい苦味と、だけども楽しい人生と、美味しいご飯の威力と、みんな違ってみんないいの喜びと、とりあえず人のこと言う奴はもっと自分のこと心配しろやの気持ちと、でもそんなの言うべきでないって諦めと、自分の操作しにくい不出来な情緒と、その中でもしっかり抗って道を作る穴の空いた長靴を履いたわたしと、安く手に入れた赤ワインはすっと胃に溶け込み、もはやおつまみなんかはダイエットも考えて要らなくて、連絡の取れなくなったやさしすぎる元彼と、なんだか方向性がわからない今彼と、、これから会う人会ってる人、どうしたって永遠がないことの悲しみを数えながら、私はもうなにもかもを無視して、打ち合わせや案を練ることや何件も何件も生きるためのイラストしごとを同時進行でこなすまでもなった、それでもいつだって自分に不満を持ち、私はダメだと気づけば考えている。全てがうまくいかなければいけないのかと思うけど、思考回路ショート寸前、そんなん言ってるとこうして途中から楽しくなってくる、一事が万事この調子だ、薬を飲んで死にたいとも思う、みじめになりたくないと思う、だけども生きたいと思う、失ってから初めてわかるもの、とかきっと後から言うんだぜって状態が続き、続き、続き、どうなるんだ?どうすれば、いいんだ?なんだんだ、なんも正解なんてない、不正解と思うのはいつも自分のこころだ

土日もないことにグズグズ拗ねていて、でも暇だったらもっとグズグズしているだろうと自分をなだめるんだけど、それでもしんどいことには変わりがなくて、なんて生きることは億劫なんだろうと思う。思いの丈を書かないと前に進めないと思いこうして書き拗ねているんだけど。家が仕事場って思った以上に居場所がなくなる。お金を貯めてiPadが欲しい。外で仕事がしたい。こんな晴れて空気の澄んだ日に、外に出れないのは悲しい。でもやらないとのちの自分が苦しむ、それなら今やっておきたい。好きなものは後に残すタイプだ。ハマチやサーモンは後だ。なんのこっちゃ。最初に良い思いをするより、あとの解放感だったりを楽しみに今を苦しむ。手を動かす手を動かす、呪文のように自分に言い聞かす。継続してやってることは絵を描くと酒呑むだ、なんだ立派じゃないか

仕事について考えること

最近よく思うのが、何かを失った方が人は強い、ということだ。過去を振り返ってみても、うまくいっていない時や、コンプレックスを強く感じていたり自分に自信がないときに、ここぞとばかりに頑張っている。欲しいものを手に入れすぎたり、少し天狗になってしまっているときは、最終的に見て失敗も多い。目の前のものを杜撰に扱っている節さえある。欲しい、満足したいという感情のエネルギーは計り知れないし、得て終わり、というわけにも人生いかないのだ。踊り場に一度出たなら、次の階段を見つけていくものだ。ひとつひとつのお仕事に、真摯に向かう気持ちを、絶対に絶対に忘れてはいけない。天狗になっている場合でもない。ちゃんと自分の能力を正確に良いも悪いも見極め、それ相応に自分を売り込むなりしないといけない。

 

負の感情はあってこそ人は頑張れるし、毛嫌いしていた感情に、愛着さえ湧く。おもしろいおもしろい、生きることは面白い。私は仕事が好きだ。もっと好きになるために、工夫を凝らして、うまくいっている時もうまくいかない時も、やることやれる人間になりたい。仕事すること、食べること、すなわち生きることが好きなんだとわかってきた。

バズった話

ここ最近ダッダッダッダッと天井で子どもの走り回る音が絶え間なく聞こえていて、けっこうしんどく、天井ドンがしたい。どんなに愛くるしい子でも、日常や仕事を阻害してくるとあれば悪だ。悪だよなあ、みんな自分を生きなくてはいけないからなあ。そんなことを年明けにブツブツ言うのはよそうとは思いつつも

明けて、始まって、スローに動き出している。昨年末はTwitterに乗せた漫画がバズり、13万いいねをもらい、いくつか記事にもしてもらった。Twitter民のやわらかい部分をたまたま突いたんだろうけど、年終わるいいタイミングで気持ちよくバズった。バズる、独特な表現だよな、でも嬉しかった。ここ何年かしんどかったので、こういう形でもたくさんの人に見てもらえて純粋に感動した。いつまでたっても永遠に続くように通知が鳴り止まない(音は消してたけど)ことは初めてで、現代ー!ってなんども思った。千を超える時、一万を超える時はその瞬間を目で見た。妹や両親と歓声をあげた。でも10万を越したら、もう携帯は見なくなった。仕事を静かにした。話題になってみたいと思っていた自分は、叶ったことであっさり去っていくようだった。随分フォロワーも増えたけど、もっとフォロワー欲しいなと向上心で思ったり、この際Twitterやめようかとも考えた。呟く自分も呟きを見る人も、ちょっと判定するような?構えというか、うまく表現できないけど、お話が純粋に見てもらえないというか、私は自分のお話は自分で守りたいし、あの、いいねの数やフォロワーの数などで評価が変わるような気がするし、流行り廃りも関係したり、なんだか人間による人間のための居場所が、鬱陶しいような 面白おかしいようなちょっと美しいような、私はまだこのSNSがよくわからない。あまりかまけず、うまく付き合っていこうと思う。

お話作りに関しては何かしら見えてきたし、自分が長年描いてみたいと思ってたものがちょこちょこ目の前に現れ出している。絵をもっともっと描いて、表現力つけて、流行り廃りに騙されない、ちゃんと力持ったイラストレーターになる。ただそう言いながらも、私は今日もどこか落ち込んでいる。

年の瀬

今年も終わるんだなと、締まりのない頭で考えてる。今年が終わっても、私はあまり実感が湧かないはずだ。

今同時進行で6つほどイラストのお仕事をしている。どれも人と比べられる中我が我がとアピールして、コンペやプロジェクトで何十人から自分で勝ち取った案件だ。今年は本当に偉かったと思う。まじめにやった。自分で仕事をするようになって半年が経った。上々だと。

反省としては、やることは大量にあるはずなのに、一人で仕事していると無性に悲しくなったりするのが進行を遅らせている。来年はもう少し、自分のこの生き辛い性格を調教し操れるようにしないと未来はないと思う。それに、言われたものを描くことをしばらく続け画力表現力共に上がっていったら、ちゃんと表現もしなくちゃ。ブログは忙しいのもあって少し、やる気がなくなっている。私は弱い。こういうところが弱い。さっき自分を褒めてみたけど、全然満足なんていってないからな。

 

思考回路について。同じような内容で何周かして、そうしていけば今まで気づかなかったもの、道端の小さな雑草のように、回路のほつれ、抜け道が見えてくる気がする。大人(おっとなー!ってやつじゃなくて、歳を食っていくこと、人生の後半部分を大人と呼ぶとして)ってこういうものなのかしらとぼんやり思ったりする。そういった、まさにその思考回路が道草なんだろうなと思いながら、考える時間がありすぎることが今は怖いし、自分が世間から浮いていく気がする。

でもその間、いろんな人と呑んで話して美味しいものをつついて、流行り言葉や男性についての見解や、自分のこのモヤっとしたなにかを酒と一緒に流し込んでいる。モヤっとした何かは、モヤっとしすぎて人にはうまく言えない。それよりは、人の話を聞いているほうが全然楽しい。来年は、みんなどう変わってくんだろうな。私は、どうなっちゃうんだろう。