測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

私はただただ川を渡りたかった

無駄にぼろぼろになって帰宅した。無駄にぼろぼろになることの悲しみを書きたい。私だってあしたのジョーみたいに意味のあるボロボロになりたい。あしたのジョー見たことないけど。。

 

午前中の用事を済ませるべく、前回歩いて2時間の距離を、今回は自転車で行くことにした。今ここで反省するのは服装だ。(あと自転車)

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自転車を貸してくれた相棒に「このチャリ嫌い」ってラインしたら、自分で買え!って言われた。その通りすぎた。。

 

川を渡って向こうの街に行くには、もちろん大きな橋を渡る訳だ。だけどその橋が幾通りかあったり、その橋のふもとからの道順がちんぷんかんぷんなので、やはりここはいっつも頼りにし倒しているiPhoneさまのナビアプリの出番。一ミリたりとも疑わず、神のように崇め、どこまでも従順について行くのが私のスタイルだ。

 

わかっている、iPhoneさまは私に最短距離を教えてくれただけである。iPhoneさまは人の足元を見るような悪いやつじゃない。急な階段の上り下りを何度も何度も、トラックのもうもうたる煙で頭くらくら、立ちはだかる工事のおじさまやコーンを避けさせては、川を渡るはああ人生、みたいなことを彷彿させようとした訳ではないはずだ。

 

 

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なんとか予定を済ませ、帰り道はなんとそのiPhoneさまが「じゃあさ、自分で帰ってみれば?」とばかりにお眠りになってしまい(おいミギー!ミギーッ!!)、人に聞いたりしながら倍の時間をかけて帰宅したのだった。ただ帰り道は違う道が見つかり、それが全く苦労のないほのぼのロードだったんだ。。なんだろ...やっぱりこの諭されてる感。「周り道をしても、自分の力で道を切り開け」?なんか悔しいので私は一生かけてiPhoneさまに頼り倒します。充電をしっかりすることだけを心がけるんだ。

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やさしい言葉とトゲトゲ言葉

 

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人とつまらないことで喧嘩をしたとき。

言いたくないことも勢いで言ってしまったりして、どこかで冷静な私がガッカリするあの感じ。本当の本当に言いたかった気持ちは、照れだったり様子見だったりで二の足を踏んでいて、順番を抜かされていつも悲しそうにしている。

 

まだ肩の力が抜けないけど

デザイナーを辞めて一ヶ月近く経った。

正直に、辞めてよかったなあと思っている。デザイン会社が悪かったというより、デザイナーの生活スタイルが合わなかったんだと思う。

 

イラストにだけはずっと真摯に向かい合ってきた。ステップアップしながらようやく手に入れたデザイナー、イラストレーターの椅子だったけれど。生活に疲れきりこころが死んでしまっては意味がない。

 

デザインのことは本当にまだまだ半人前だけれど、イラストに関して言えば、私は「魅せる」イラストよりも、自分の気持ちを伝える「手段」としてイラストを描けるようになりたいと思っている。

 

辞めてからとりあえず描きまくっている。まだ自分のパソコン上でしか描いてなくて、親や友達に見せては褒められたりボロクソ言われたりして、自信をなくしたり取り戻したりを繰り返している。

 

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初めてひとつブログに載せたけど、これは一番人に見せた反応は良かったが、肩の力が入りすぎて少し方向と違うのでお蔵入りにするつもりだった。でもそれも寂しすぎるので。。この他の漫画なんかもっと力みがあって笑 それこそはほんとうにお蔵入りだし、LINEスタンプも、なぜか徹夜していちにちで作ったよ、いま申請中だけど。とりあえずもう少し落ち着いてくれないだろうか。。

 

うまく行き始めたらブログを新設して漫画を乗せていくので、よろしくお願いします。またお知らせしますね。

力みが早く取れますように。やる気だけは有り余るほどある。カスタマイズした高級MACくんも届いたので、まずは落ち着いて創作したいと思っている。

 

丑三つ時の弱音と強音

とうとう、と言えばいいのだろうか。ギブアップかなあと思った。精神的にも体力的にもだ。また熱を出してへんてこな咳を出して、フラフラしながら、ポリポリと腕の蕁麻疹を掻きながら、明日の仕事を控えて全然眠れない夜に思った。

「もっとやってみたい、この先が見たい」という気持ちと、「まだ帰れないのか。仕事一色か。私の人生これでいいのか」という気持ちが常に綱引き状態だった。

 

デザイナーを2年近くやってみたのだが、たくさんの大きなイラストの仕事ができたし、デザインも採用されるようにもなったし、やりがいは大きく、面白かった。先輩もすごい人たちばかりで、自分の成長する骨の音が聞こえるほどに成長させて貰ったと思う。まあデザイナーとしてはまだまだ半人前だ。

ただここ2年間、とにかく自分の時間がない、余裕がないという日々が、私に与えるストレスは、今までの中でもとんでもなく大きいものだったようだ。仕事を面白がってたのも決して嘘じゃないけど。自分の「どこか」が悲鳴をあげる、その悲鳴を無視する、次第にボロボロとヒビが入り地底深くに悲鳴もろともその「どこか」が崩れ落ちていく。その過程を見過ぎてもう、だめだ。「どこか」は私の大事な一部なのに。今はとにかく自分の時間が欲しい。「どこか」を救い上げる時間。

 

弱いと言われればそれまでだけど。でも、得たものは是が非でも、次に活かすよ。弱いようで強いんだわたしは。

気が強いんだか弱いんだか、私はいつだってこうだったもん。寝れない夜だけど、ちゃんと明日、話そう。

ヒョロ弱ハート、病に打ち勝つ

ある時を境に、ふいに人を嫌いになる時がある。キッカケのある場合もあるが、本当に特別な理由もなく、理不尽に嫌いになることがほとんどだ。

 

どんな人に対しても、その時は平等に来る。絶対的力を持ったウイルスに犯されるように、どんなに予防注射を打っても対抗できないのだ。

 

その病は、多分だけど、ほぼほぼの人間が持っているような気がしている。私もある日突然、誰かに嫌われている。私が悪い場合も、悪くない場合もある。悪いと思う場合は反省をすればいいが、とにかくここで言いたいのは、人間関係においてこの病はつきものだということ。

 

だから私は、ある人との関係が悪くなったとき、自分の病か相手の病か原因はどちらにしても、これは病だからいづれ治ると、案外冷静でいる。この病の根本は治らない気がしているが、そう考えることで無駄に落ち込んでしまったり、なんとか仲を改善しようと悪あがきして、もっと仲を悪くしたりを防ぐ。

 

そしていつのまにか、またその人を好きになる。

 

人はなかなか一定ではいられないから、心持ちだけは幾ばくか一定でいられるよう、工夫していく必要があるのでは思っている。傷つきやすければ尚更。