測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

ヒョロ弱ハート、病に打ち勝つ

ある時を境に、ふいに人を嫌いになる時がある。キッカケのある場合もあるが、本当に特別な理由もなく、理不尽に嫌いになることがほとんどだ。

 

どんな人に対しても、その時は平等に来る。絶対的力を持ったウイルスに犯されるように、どんなに予防注射を打っても対抗できないのだ。

 

その病は、多分だけど、ほぼほぼの人間が持っているような気がしている。私もある日突然、誰かに嫌われている。私が悪い場合も、悪くない場合もある。悪いと思う場合は反省をすればいいが、とにかくここで言いたいのは、人間関係においてこの病はつきものだということ。

 

だから私は、ある人との関係が悪くなったとき、自分の病か相手の病か原因はどちらにしても、これは病だからいづれ治ると、案外冷静でいる。この病の根本は治らない気がしているが、そう考えることで無駄に落ち込んでしまったり、なんとか仲を改善しようと悪あがきして、もっと仲を悪くしたりを防ぐ。

 

そしていつのまにか、またその人を好きになる。

 

人はなかなか一定ではいられないから、心持ちだけは幾ばくか一定でいられるよう、工夫していく必要があるのでは思っている。傷つきやすければ尚更。

 

 

学び

おっぱいの看板と、マッサージの看板の間を通る。客引きの異様に背の高いおじさんの、やる気があるのかないのか分からないダミ声を聞きながら、ぼおっと熱い頭で新橋の夜風をきる。

 

自分の悪かったところ、人の悪かったところ、多いか少ないかではない、私の非をしっかり飲み込んで一歩進もうと思った。

 

「言葉」の持つ力。蔑ろにしてしまったあの瞬間をもう忘れるな。しまったと思うより前に、一度注意と慈しみを持って口の中で転がせるように。世の中に放す前に。

お風呂で映画のはなし

気になっていた「百円の恋」を見た。久しぶりにひとりで、最近ハマり出した手作り燻製をつまみながら、ライムぎゅっと絞ったジントニックを飲みながら。

 

私はひとつひとつあらすじを書き、感想や深い読みを披露するというマメさや才能がない。いつも月並みなことしか言えないけど、でも良いもののおかげで心の温度が上がり、創作意欲が刺激され幸せだった。

 

ただただ安藤さくらさんよかった、彼女は女優として美女枠ではないのかもしれないが、だからこそ無駄がないというか本物というか、ストーリーや彼女の演技が率直に心に響いてくる。ボクシングに集中する彼女を見ていると気付いたらボロボロ泣いていた。
新井浩文さんも相変わらず目つきやばくて、今回の役は荒々しくてちょっとカッコよく、でもほんとは弱そう、なんだか非常に生っぽい2人なのだ。

世界がほどよく汚いのもいい、もうキラキラお目めのものは見たくない、気を衒わず、現実を切り取ったようなものが、面白くなってきた。私が以前好きだったクリープハイプがエンディングだけ流れるのも、すごく合っていた。

 

さあさあ逆上せてきた。iPhone7に変えて堂々とお風呂で携帯触れるからな、出たら美味しいビールを飲もう。

ゲロゲロマン

今日の朝はちょっとだけ早く起きて、隣駅のミスドで一度降りて、金曜日のソフトバンク利用者特典のクーポンを天高くかかげポンデリングとオールドファッションをいただいてきた。タダより素晴らしいものはないもの!!!朝ごはんに会社の豆挽きコーヒーといただくとたっぷり幸せ気分になった。

 

今週はまいにちお弁当を、ゾンビ状態で作ったし、頑張ったぞう。これで週末はたくさんお酒飲めるね。発想がおっさんである。

お酒といえば、3日連続で接待のため飲みに飲んだ相棒の、3日目の状態があまりに恐ろしくておびえた。ゲロゲロマンだ。すさまじい音を立てて吐き散らしていた。かわいそうだったし、お水をあげたり冷たいタオルを頭に乗せてあげたが、人があんまりに様変わりする様子はいつ見てもゾッとしてしまう。

昔仲のよかった男性が、お酒強いはずなのに、私と歩いている横でさりげなく吐いて、そのまま一緒にまた歩き出したことがあった。え?今吐いたよねとも言えず、私はずいぶん驚いた(若干引いた)ことがある。吐くのは仕方ないけど、吐くことをなかったことにするのは難しいんじゃないかなあ。ご飯を美味しいねと口に入れることは日常だ。だけどそれが口から吐き出されることは異常なのだ。異常事態なのだ。

 

私は飲んで吐いたことが未だにない。記憶はちょっとばかしどこか遠くへ行ってしまったことはあるけれど。。まあ自分のペースで飲ませていただいているからだとは思うけど、そういう意味では限界を知らないのだ。最近読んだ「うわばみ彼女」ってお酒漫画の女の子には負けるけどね...

 

そういうわけで割と自分のお酒に関する限界には興味がある。まあでもゲロゲロマンにはあまりなりたくはないかなあ。

 

 

サメ、エクレアと桃

へんてこな毎日だ。不安定な場所に奇跡的に立ってるみたい、またはそのための工夫をしているみたい。そんなこと言っているとさっき見た「ラスト•バケーション」ってサメ映画思い出す。大怪我しながら1人サメと対峙する主人公の女性が逞しすぎて己を恥じるレベルやた.....

 

エクレアはすごく美味しいが、いやに食べづらい。そんなことを会社のパソコン前で、漏れ出すカスタードを無理して口に押さえ込みながら真剣に思った。帰れない夜に。

 

その次の次の日、飲み会で遅くなる相棒を待ちながらふと寂しくてやってみたチャット(一対一、出会い系ではもちろんないが寂しいとたまにやっちゃう)で、「桃は、傷つきやすいね....」なんて呟いてそのまま落ちたひとがいた。男か女かどちらでもないか何歳なのかも分からない人の言葉の、意味深なクサイ響きに、エクレアの話を返してやりたかったのにすぐに落ちてしまった。

 

そんなどうでもいいことを思っている。まいにちまいにちが早い。

 

踊らされる消費者

化粧品を充実させたくて、いろいろブログやら広告口コミやらでメディアリテラシー(かっこいー!)を意識していると、ふと何かの上で抗えず超絶踊り狂わされている自分に気づく。

私には真意を見抜く力なんて...ないもの!一体誰の言っていることが正しいというのだろう。

「もっちろーん私こそが正しいですよ、すっばらしい成分使ってますからね、これであなたもトレビアンな肌に」なんて言われたら、画面越しにそのつくり笑いは見抜けない。もちろん信じちゃうよ。私はその嘘や過大広告なんて全く見抜けない。

 

普段これは良いのだと使っているものが猛毒であるかもしれないし、今は良くても将来にガンガン響くものかもしれない、いくら良くても私には、合わないかもしれない、様々な可能性を考えると口コミを見たり試供品を使ってみたくらいでは見抜けないのである。一体全体、どうしたらいいのだろう。迷える消費者である。

 

世の中に、「消費者のため」という気持ちより、「消費者に消費させたあい!!」って気持ちが渦巻いているからだめなんじゃないの?ていうか、「この商品、この習慣、すっごく良いよ!」の記事の後に、「その商品、その習慣、実は本当は全く良くないよ!」の記事が必ずといってもいいほど出るのは一体なんなんだ。世界は敢えて、私たちを迷わそうとしている気がしてくる。

 

そう考えていくと、自分が良いのだと信じることが真に正しいのではないかなんて思えたりもする。猛毒も、信じれば良薬になるのではないか。極論すぎるか笑 

 

これからも消費者として踊り狂うことは確実だけど、ある程度ちゃんと調べることはまず大事。あとはあんまり神経質ならずに、適当に信じて、楽しく生きていこうと思った。

 

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文化の日に生まれ変わる

わたしは文化の日に生まれた。

今はそういうと、ぴったりだねと言われるほど文系の人間だけど、うちの両親は生まれてからなぜか私に運動神経を期待し、水泳やらバレー(踊る方)を習わせたのだった。両親ともに運動神経が良かったから、もちろん私も良いと思ったらしい。

習字やらピアノ、絵を習わせなかったことをはっきりと後悔することになるのは小学校時代の運動会の日だった。50メートル走。私の構えもどうやらとても期待させるものだったらしい。よーいドンでうちの両親は息を飲んだ。私の走るスピードはまさにスローモーションのようだった。

その後妹と弟には反省するかのように習字やらピアノを習わせていたが、どちらもあまり実にならず、弟なんかは私と妹の分まで奪い取ったかのように運動神経抜群で陸上やらサッカーやらに熱中。まあとにかく兄弟の中では、文化系は私が一番割と素質があったと...思っちゃうのだ。

 

27になった。早いものだ、すっかり大人の年齢だ。

完璧でなくていいしなれないけれど、出来るならもっと余裕のある人間になりたい。

そして作品を作りたい。

あとは綺麗になりたい、痩せたい。欲求は毎度毎度変わらないような気もするが、ちょっぴり今回はマジである。と、それも毎回思っているような気もするが....

 

これを機に、気をひきしめる。