測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

変わること

ある時まで「変わること」が怖くて悲しくて仕方なかったし、多分私のテーマでもあった。きっと手に入らないからこそ永久がほしくてほしくて、ふと思いやって涙が溢れるような駄々っ子センチメンタルオンナだったのだけど、今はどのように変わっていくのかに俄然興味が湧いてきている。まずは見た目。このまだ張りのある肌がどのように伸びていくのか垂れていくのか、怖いものみたさでもあるけれど、ふと鏡を見て想像する。少し前まで一度も想像したことがなかったのにだ。永遠を渇望していたはずなのに、まあだからこそ考えないようにしていたのだと思うけど、そんなに恐ろしかったものが、今では見ないまま死ぬのは少し勿体ないなと思い始めている。

もちろんこの考え方はある程度飽き飽きする思考回路を順繰り巡り長い時間を経てやっと見出した新回路であって、その道は細く頼りなくただゼロではなくなったというだけ。変わらず老けるのは怖いしやっぱり悲しい。でも人生という道のりが、この世に生まれ落ちそれぞれに与えられたアトラクションであるなら、急降下も味わってみたい。登り切って良い景色やら絶望やらだけ感じただけで急に死にたくない。落ちてみたい。見たことのない感じたことのない思いや目眩をしてみたい。そして降り切ればなんらかの安堵と気持ちの良い諦めと、若き日のように浮き足立つこともなく世の中がもう少し鮮明に見えてくるのではないかと。(目は老眼で見えなさそうだけど)

30手前でこのように考え方が変わるなら、四分目五分目と進めばさらに新しい思考回路を見出せるはずだ。神様が生かしてくれる限り、ちゃんと精一杯生き続け、生を楽しんでみたい。