測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

死ぬまで生きる

健全で高単価で、イラストを描くことがさらに面白く楽しくなる仕事、最高だ。商品のビジュアルになったりWEBでアニメーションになったり、広告漫画もたくさん描く、パンフレットやおしゃれなサイトのイラストも描く描く描く。いまいち無名でも、たくさん描いて求められもして、もう全部夢かなったみたいで、なんだもう仕事以外なんにもやる気しない。今を上京したての自分に見せてやりたいけど、驚愕され喜ばれ最後に思い切り殴られそうだな、こんなに目が座っていては。美味しいものを食べた時みたいに語彙力がなくなるけど、生きれるし、余裕も生まれるし、とにかく最高ではある。好きなことで生きてるなと思うし絵はずっと好きだと思うし、お酒もたくさん呑んで美味しいものを食べるしこれは本当に幸せなことだと思うけど

不思議なくらい、全て放り投げて精神的な樹海を彷徨うことは全く減らず、ふとした時の虚無はどんな幸せにも打ち勝てないエネルギーで、飲み込まれそうになる。まあでも幸せなんてわたあめみたいなものですぐどろどろ溶けてしまうし、そんなものだったんだな!?とやっと理解し、それに気質も気質だからと諦めかけていて、でも実際渦中にいるとマジで辛い。生きる意味が分からなくなる。というか、あれ、生きるってそもそもなんだ???というのが最近の思考回路で、生きることの意味より、生きることにあまり意味がないこと、ただ私はここに生まれそして死ぬのだ、という当たり前の事実に急にびっくりしてしまっている。当たり前なのに、意味がやっとわかったような。思春期から上京からイラストから闇雲にとにかく「頑張らなくてはいけない」のだ、頑張らないとダメなのだと自分に言い聞かせてきたけど、それは強制されるものではなく、ただ自分で頑張りたければ頑張ればいいのだということ。なんかもう青天の霹靂だ。もうそこまでこうしろああしろという人が周りにいないからこそ、自分で全て選択できるからこそ、よく分からない常識を篩にかけていくと、そこには何もない至ってシンプルな生と死が残っている。世の中の、若いから歳だから女だから男だから美人だからブスだからアホだから賢いからなんかが、どんどん馬鹿らしくなる。どうでもよいじゃないか…と樹海の中で考えながら、目を覚ますと自分のお腹の肉が気になりジムへいく。いざ死ぬとなったらと考えたらめちゃくちゃ生きたいと思う。

自分は紛れもない人間で、荒んだ振りをしてもそれ含め生き生きしている。恥ずかしい生き物だと我ながら思う。