測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

江古田の猫

江古田の猫

 
私は一応イラストを描くんだけど、三度の飯よりはちょっとだけ劣るかなレベルで猛烈に愛している「猫」を描くのは、もしかしたら何を描くより1番苦手かもしれない。こんなに愛しているのに、もしかしたらこんなに愛しているからこそ、私の握ったペンから生み出される猫もどきのことは許せない。さて許せる日はいつ来るのかと、今日も猫を描くのである。
だってね、ふわふわ感てペンで一発描きするには難しく、そうすると妙にリアルになっちゃう、でもそうすると兎にも角にもあの目!あの魅惑の目をリアルで表現することは、私の画力ではまだ無理なのだ。だから漫画風に描くしかない。ない。ない・・・
 
都会にある猫カフェの、都会人ならぬ都会猫は、ちやほやされすぎたのか単に人間に嫌気がさしているのか、「私にかまわないでいただけます?」という感じで愛想が非常に悪い。かまいにいきたくて行くのに、そりゃないよ。そのトリマー仕立ての着飾った身体は確かに美しいが、1時間、2時間と粘って滞在してもいつも猫愛の消化不良で、気分悪くそこを後にしていた。そして数回で行くのをやめてしまった。

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一方、江古田にある猫カフェは、週末必ず訪れるほどの常連。
江古田は田舎でもなく(私の故郷、北陸に比べての話)都会でもなく、私が愛してやまない土地。その土地柄のおかげなのか、猫たちの性格まで堪らなく「良い」のだ。初めて行った時は、帰り際階段降りながら思わず「良い!」とガッツポーズしたもんな。よくいう男性に対しての、良い人なんだけどね~の良いとは違う。ワンダフルだ!にゃんだふるだ、うん。
何十匹といるが皆個性豊か。身体を低くした体勢で、猫目線になってみればよく分かる。上から見下ろしていれば到底気づかない、猫たちの猫事情を垣間見ることができる。奴らはかわいいだけじゃなく、ちゃんと、着飾ることなく勘違いすることなくリアルに生活しているのだ。人間世界から少し離れ、愛しい彼らと時間を共にするのが私の憩いの時間だ。

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