測りたがりの痛がり屋

まいにちの記録

いつか落ち込んでいる私へ

全然書いてる暇じゃないけど書く。いつかまた落ち込んでる私に向けて書く。今、少しずつうまくいっている。仕事は単価はまだ低いけど、いっぱいこなし始めたし、感謝はしてもらえるし、どんどん上手くなって表現も豊かになっていくし、前よりも多くのことが見えるようになった。なったんだよ。なったんだ。君はすごく頑張っているよ。手をしっかり動かしている。いつかの私は頭や口ばっかだったから、進化していると、本当に私が一番私を知っているし、正当な評価できる。自画自賛は、恥ずかしいことではない、むしろ大事なことだ、しなくちゃ。

 

Twitter、最初はなんだか変に癖になってやめた方がいいかなと思ったほどだけど、いまはその場所で信じられないほどたくさんの人が絵を描いて、葛藤して、おんなじような苦しみを抱えていることを知った。すごく励まされるんだよ。同じ年代の人だって、当たり前だけどたくさんいて、いろんな悩み抱えて、それぞれが生きてる。知れてよかったよ。この距離感がいいから特段仲良くなろうとは思わないけど、でも、こういうのって現代の良いところだよな。SNS悪いところばっかじゃない。

 

どうせまたすぐ落ち込むんだろうけど、その落ち込みだって悪いもんじゃない。思ったより無駄は少ない。回り道も大事だったりするから、ぜんぶぜんぶ消化して、しっかりと花を咲かせるんだよ。すぐ散らない、しっかりした花を咲かすために、今はじっくりじっくり向かい合うんだ。

夏から秋へ

良い天気だ。秋晴れだ、日本においてこんなに良い日は、365日で一体何日あるのかな。

 

私は暗く寒い湿った場所が大好きだけど、こういう日は丁度いいくらいに明るい世界と暗い世界の境界線に居れるような感覚があって、優しい気持ちになる。

 

ただ最近は失うものが多すぎて、悲しみや妙なだるさがある。

私が手放したのか、それらが私から離れて行ったのか。

 

私はいつかより、だいぶ誠実に生きれるようになった。嘘や偽りに飽きた。そういうものはアクセントや、男女の駆け引き、何か人が喜ぶタイミングで使うのがいい。

 

若い時は自分がよく見られたかった。自信の無さからだ。でもそういうのは歳を重ねると変わってくるんだね。よく見られるよりよく魅せたいという気持ちは今でもあるし、イラストレーターという職業でも大事な感覚ではある。でも偽るだけでは、物事の真髄というか、相手や自分がどのように感じているかなどが見えなくなっていくから、人間として生きていく上での面白さが半減されていくんだ。私自身がクリアになって初めて、見えてくるものもある。私が変わり始めてから、人のことも選ぶようになったと思う。

 

誰にでも優しくしている時間はないよ。偽善で生きていけば、本当に大切なものが分からなくなるだろう。好き、少し好き、普通かどうでもいいか、少し嫌い、嫌い、大嫌いという名の大好き。カテゴリーは増えていくし、どんどんと見る目も磨かれていく。お酒や食べ物の好みが変わっていくように。

 

大人になることは面白い。同時に少し、悲しい。

もう少し、おばさん、おばあさんになったらまた変わるのかもしれない。

元々が、こういう冷たい奴だったのかもしれない。

 

黙って歩いてみよう。

 

 

 

 

 

 

めんどくさい奴

私はいい奴でもなんでもない、醜い感情は溢れるほど持っていて、でもだからこそ他人に優しくできると思っている。そういう自分を否定しすぎないことだ...と思いながらも、言葉だけで、いろいろ悟ったふりしながらも全然実際のところ納得いく姿にならないし、すごい不満が募ってくし、私は依然として全く上手に生きれない.....!!!!!!!!!!!しっかり仕事しなくてはと思いながらもうとうと現実から逃げることも多々あるし、家にこもって自分と対峙しながらのお仕事きつい、ほんと身もふたもないけどきついよお....

 

私はいい格好しいだし、あんまり暗いのもなんだと思って明るく振舞っている、それに救われてくれている人もいる感じではあるが、こいつ明るく楽しく生きやがってみたいな反応も少なからずある、じゃあどう生きたらいいんだよー。ばかやろ、明るくばっかりで生きている人間がいるわけがないじゃないか。隣の芝生ばっか見てる暇あったらちゃんと前向いて歩け。

 

でも私も人のこと言えないんだ。ほんと情けない、年ばっかり大人になって。定まらない。でも昨日打ち合わせで会った女性とも飲みながら話してたけど、定まったら定まったで嫌なんだな、もうもう、とか書きなぐってると案外元気になってきたりして、ほんと自分てやつはめんどくさい。毒吐かせてくれてありがとう、ありがとう。

レモンサワー葛藤風味

いろいろ煮詰まっている、でもこれだけ絵と向き合ったのは、大学を辞めるとき以来かもしれないなあと思って、貴重だ、貴重だと思いながら過ごしているところだ。自分の本当に好きな世界観、良いと思うタッチ、思ったって一筋縄では表現できないし、あんまりそれに近づけようとしてもひたすら二番煎じになってしまう、じゃあその中でどのように自分のタッチを確立していくか。本当に器用なタイプではないので、どうしても違う、違う、なんで私って、、な感じで迷走もしてしまい、実際に描いている時間はあんまりないのかもしれない。なんとも効率が悪い。表現したいことはあるのだけど、絵が納得いかないの。

私は今お金がとことんない(仕事を辞めてフリーランスの準備をしている中、いくつかのイラストのお仕事はしているものの請求のオンパレードだ、住民税、国民年金、健康保険が全部重なっていじめのようだ。)ので、生活費はさすがに自分でまかなっているが、両親だったり彼氏が美味しいご飯やお酒を奢ってくれる。嬉しいことではあるけれど、やっぱり情けない。人が奢ってくれることは、彼らが一生懸命に稼いだものを、私のために使ってくれるのだ、ほんとうに感謝しなくてはいけないし、早くしっかりしなくてはと思えば思うほど焦燥感でうまくことが運ばない。悲しいし苦しい。でも、一筋の光はいつだって見える。やれそうと思っている時間もある。ただその他はひたすらに葛藤だ。

レモンサワーを地元の安いお店ですこし飲んできた、それだけでこの饒舌さである。煮詰まっているところに、お酒はよくよく効くのである。

人間

切ないもの、悲しいものに目を向けるな、啓発本的に言うと、マイナスな言葉を吐くな、マイナスに目を向けるな、常に元気であれ。それらの言葉を聞いていると、少しだけモヤモヤする。人間であるからこその感情、捨てようにも捨てきれないはずというのもあるけれど、私には陰の世界にも美しさや儚さを感じる。

 

私は、人間を描くぞう。

別に陰だけではなく、人間そのものを描きたいし、見つめていきたい。

だって昔からそればっかに興味があるからな。人のことは大っ嫌いで同時に大好きだ。こんな魅力のある生き物はいない。

 

机上の戦い

毎日漫画を描くようになって、ようやく目の前に現れるものに自分の気持ちがグッと注入される感覚が、たまにだけど分かるようになった。まだ始めて2ヶ月程度なので大きい口たたけるものでもないが、自分の中の話だ、階段を一歩ほど登れたような感覚。

 

ツイッターにも載せているんだけど、見てくれたあるフォロアーさんが、わたしの漫画を読んで、救われたような気分だ、と言ってくれたのだ。分かる分かる、という言葉もみた。涙が出そうになったし、あー、これだと思った。私が漫画を描きたかったのは、これだ。有名になりたいとかじゃない、あんまり日の当たるところには出たいと思わない、表現をして、人の日常を一瞬でもいいので彩りたいのだ。なあ.....ま、引き続き修行します。まだまだうまくいってないことのほうが多いので。。

 

よければ、たまに覗いてくださると嬉しい限りです。

http://yoyopparai.exblog.jp/

 

ひとりごち

めまぐるしく時間が経っていく、あっという間すぎて、わたし、なんにもできてないんじゃないかって不安になる。頑張ろうという気持ちの先回りには、対抗できるようになった、着実に頑張ることで。気持ちに負けないように実際に行動をしていくのだ。それこそ先回って。目の前のことに集中する。ただまだやっぱりバランスが悪い、すごく疲れやすい。まあもともと疲れやすいけど。自分の気持ちをもっと飼い慣らせるように。そうだ、そしてあと、人を怒るのはとても体力がいる。ああ、余計なものを愛せるようにならなきゃなあ。利便性、効率の良さばっか考えていてはいけない、余計なものを創作しているんだから。