切ないもの、悲しいものに目を向けるな、啓発本的に言うと、マイナスな言葉を吐くな、マイナスに目を向けるな、常に元気であれ。それらの言葉を聞いていると、少しだけモヤモヤする。人間であるからこその感情、捨てようにも捨てきれないはずというのもあるけれど、私には陰の世界にも美しさや儚さを感じる。
私は、人間を描くぞう。
別に陰だけではなく、人間そのものを描きたいし、見つめていきたい。
だって昔からそればっかに興味があるからな。人のことは大っ嫌いで同時に大好きだ。こんな魅力のある生き物はいない。
切ないもの、悲しいものに目を向けるな、啓発本的に言うと、マイナスな言葉を吐くな、マイナスに目を向けるな、常に元気であれ。それらの言葉を聞いていると、少しだけモヤモヤする。人間であるからこその感情、捨てようにも捨てきれないはずというのもあるけれど、私には陰の世界にも美しさや儚さを感じる。
私は、人間を描くぞう。
別に陰だけではなく、人間そのものを描きたいし、見つめていきたい。
だって昔からそればっかに興味があるからな。人のことは大っ嫌いで同時に大好きだ。こんな魅力のある生き物はいない。
毎日漫画を描くようになって、ようやく目の前に現れるものに自分の気持ちがグッと注入される感覚が、たまにだけど分かるようになった。まだ始めて2ヶ月程度なので大きい口たたけるものでもないが、自分の中の話だ、階段を一歩ほど登れたような感覚。
ツイッターにも載せているんだけど、見てくれたあるフォロアーさんが、わたしの漫画を読んで、救われたような気分だ、と言ってくれたのだ。分かる分かる、という言葉もみた。涙が出そうになったし、あー、これだと思った。私が漫画を描きたかったのは、これだ。有名になりたいとかじゃない、あんまり日の当たるところには出たいと思わない、表現をして、人の日常を一瞬でもいいので彩りたいのだ。なあ.....ま、引き続き修行します。まだまだうまくいってないことのほうが多いので。。
よければ、たまに覗いてくださると嬉しい限りです。
漫画ふれなばおちんのラスト.........!!!!!!!!!!!!!!!!!!???????????????????????????????????????????????????????????????????
〈ネタバレ含みます〉
読んだばっかだから感極まっているのだが、一体全体どうしてあのラストになるのか!?なぜ佐伯さん事故にあって終わるの??なんで??それはなくないか?あんまりじゃないか?あれだけ頑張ったんじゃないか夏さんも佐伯さんも。
現実だったら、そのようなことが起こるのは分かる。慈悲のかけらもないこと、想像もできないこと、なんでもありの世界、起こってしまったことは起こってしまったこと、全ての人が諦めたり受け入れて生きている。でも漫画で起こることは全てなんらかの意味がある。だってストーリーだもの、誰かが考えているのだもの、それを読む読者がいるのだもの。。。たとえ実話だったとしてもこのラストは少しないんじゃないか。せめてもう少しその後を書くとか、何か、何かあったんじゃないか、11巻まで、主婦になった気持ちになってそれはもう楽しく読ませてもらったけど、こんな終わりは想像もしていなかった。。。。。。
それだけの罪だといいたいんだろうか。家族がいる中で、別の誰かを愛すことって。それは十二分にお話の中でわかったのに。すごくすごく苦しいほど伝わったのに。最後に佐伯さんが事故に合う意味。(実は死んだかもさだかでなない、唐突に、ラストで事故に合い、それから数ページで完。夏さんは知らないまま、彼が事故に合ったという事実だけ読者に知らされる)
おこちゃまの私には想像もできない何かを伝えたいんだろうか。あっ!事故のように人を愛し、最後には本物の事故に合う、ってやつかな。掛けてるのかな?ちがうかあ
それとも話の中でなかなかにかわいそうな旦那さんが、最後には浮気相手いなくなったしこれでもう、心配いらないねってやつか?それでいて初めて、夏さんも佐伯さんを忘れられるね、相手が死にでもしなければ、永遠に平和が来ないものね。ってそういうことなんだろうか。このようにいろいろ想像させて考えさせることが目的?まだ未遂の人たちへの警鐘か?
ぐああああああああ。やられた。私の中でかなりの問題作だ。
面白かっただけに、いろいろとリアルだっただけに、このラストはかなりの衝撃だった。。。うーん。。
親友が帰ってしまった...帰ってしまった。
小学中学高校とずっと一緒にいた彼女は、まるでスポンジみたいな女の子だ。わあ、これって頭軽いみたいな雰囲気あるけどそうじゃなく笑 スポンジボブ好きでよく落書きしていたイメージと、あとは私の言葉をぐんぐん吸ってくれることだなあ。それでいて、ずっしり重くなったりせず、ちゃんとスポンジのままというか、私の言葉を空中でふわふわ遊泳させてくれるというか、彼女は彼女のままで、私は安心して思ったこと感じたことを話すことができる。聞き上手なんだなあ。
要は、人なんてそれぞれが自分でいっぱいいっぱいだ。そんなのは当たり前じゃないのかしらと思う、無理して私を受け止めて全身で感じてほしいんじゃない。自分を見つめ直す余白が欲しかったり、そしてちょこっと、共感して欲しかったり、その具合、バランスが大変ぴったりな人なのだ。私は彼女のそれになれているかという自信はない、でも、それだけ私はリラックスして、幸せになれるので、余計に彼女が好きになり、彼女の幸せを願うし、彼女の話を聞きたいと思う。人間鏡だというけれど、こういうことなのかなあと思う。
少し心がすれてしまっていると、優しさをどこかに落としてきてしまっている場合が多い。それを拾ってくれる人がいて初めて、私、なんだか怖い暗い人間だったなとハッとする。省みて、また優しさを取り戻す。不安定だしずるいし素晴らしい人間とはいえない、でも、優しくいるよう努力することはできるから。思い出すことだって、誰かを思いやることだってできるから。捨てたもんじゃない、ゆっくりやってこう思う。
帰ってしまった友人が、帰った先で、無理せず、彼女らしく、生活できますように。また彼女と、美味しいお酒をたっくさん飲めますように、と、少し元気になった心で、健康的に願う。
GWだ。ただ今現在は若干テンションが低い。楽しみにしすぎたからなのか、イラストがはかどらないからか、テレビをつけると、こちらは月火と休みではなかったから今からGWの始まりだというのに、もうGW後半...なんて言ってるからか。
福井に住んでる友人が、毎年GWになると東京に遊びに来てくれる。その人を今、電車で駅まで迎えに行くところ。先ほどテンションが低いと言ったけど、駅がひとつひとつ近づくたび、文を打ち進めていくたびに、少しずつ元気が戻ってくる。ようやく、GWの幕開けだ。