GWだ。ただ今現在は若干テンションが低い。楽しみにしすぎたからなのか、イラストがはかどらないからか、テレビをつけると、こちらは月火と休みではなかったから今からGWの始まりだというのに、もうGW後半...なんて言ってるからか。
福井に住んでる友人が、毎年GWになると東京に遊びに来てくれる。その人を今、電車で駅まで迎えに行くところ。先ほどテンションが低いと言ったけど、駅がひとつひとつ近づくたび、文を打ち進めていくたびに、少しずつ元気が戻ってくる。ようやく、GWの幕開けだ。
GWだ。ただ今現在は若干テンションが低い。楽しみにしすぎたからなのか、イラストがはかどらないからか、テレビをつけると、こちらは月火と休みではなかったから今からGWの始まりだというのに、もうGW後半...なんて言ってるからか。
福井に住んでる友人が、毎年GWになると東京に遊びに来てくれる。その人を今、電車で駅まで迎えに行くところ。先ほどテンションが低いと言ったけど、駅がひとつひとつ近づくたび、文を打ち進めていくたびに、少しずつ元気が戻ってくる。ようやく、GWの幕開けだ。
昨日は久しぶりに演劇というものを日暮里まで見に行った。古くからの親友が出ているのでどんなに演劇自体が面白くなくても楽しいだろうと踏んで、だ。自分の顔見知りがどういった演技をするのか、それだけでも見る価値があると思って、意地の悪い赴き方をしてしまった。少し体調も悪く、面白いのか分からないものに博打をする元気はなかったから。
ふたつの劇団が、おんなじ台本を演じていた。お話の内容は不条理劇ということで、自分の居場所がなかったら困るとみかん箱を自分の居場所として持ち歩いてしまう男、彼はあらぬことまで念には念を入れ、予測や想像でどんどん事を進め話すウザい奴。(あそこまでひどくないにしても、こういう人いるよなあ、というより自分もしてるときあるなあとドキッとする)もう一方は赤い傘を好きな時にさし、好きな時に閉じ、ゆっくり歩く女、彼女は思ったことをそのまま口にし、自由気ままに行動する。
次は排泄を死ぬまで我慢する男と、言われるままに動き自分の意思のない、人を殺せと言われれば殺そうとする男、登場人物はそんな感じ。この4人が後に絡み、不条理ー!ってなかんじで話が進む。(いい加減なあらすじごめんなさい)
どっちの劇団もそれぞれの解釈で演じていて違うものになっていた。印象としては鬼才で頭の良い、演出が個性的なのが前者(親友が出ていたもの、彼女は普段と違う随分きれいな声ではっきり話し、男の手を後ろで縛って、長い間男の上に乗っかっていた)。後者は王道に、シンプルに話を演じていて、それぞれが演技の巧みさに長けていた。
絶対的に比較が生まれて行く中で、引けを取らず自分たちの持ち味を持っているのが面白かったし、表現の面白さ難しさ、バランスなどにまで考えが及んだ。劇自体も面白かったし、2つが同じものを演じたところも気に入った。
演じた訳じゃないのに、帰って飲んだビールが美味しかった。私ってば心の体力がないけど、世の中には面白いことがたくさんあるのだから、前向きに生きなきゃなあと思えたのだ。ありがとう。
突然だけど、自分の飽き性で気分屋で情緒不安なところが本当にいやだ。楽しいな幸せだなという気持ちの持続がすごく短い。その幸せな時でさえ、これからこの気持ちがころっと変わる瞬間を怯えている。どうして私はこうなんだろう。欠陥でもあるんじゃないか、一生幸せになれない人間なんじゃないかとも思う。
ただずっと幸せな気色悪い人間はいないよな、と自分に言い聞かす。ずっと幸せだったら、そもそも幸せという概念がないはずだ。それと比較される悲しみ苦しみ焦り辛みがあるから人は幸せを幸せと感じ、慈しむのだ。
その一方で、「変わる」ことを怖がり悲しむところも困りものだ。失うものについてばかり考えすぎているのかも。変われば、新しく得ることができるのだろうけど、圧倒的に失う方がいやだ。
贅沢なんだろうか?欲しがりすぎなんだろうか。限りない欲求のせいで、今を満足に思えないのだろうか、そのくせ変わることが嫌なんだったら私は果たしてどうなりたいんだ?
影のある、オーラのある、美しい人も、案外普通のこと考えていたりする。見かけマジックはすごい。どんなに頭の良い素晴らしい人も、目が見える限りバカばっかりするのだろうな。
電車の中、職場、お店の中、道端、電波上、我が家、あらゆる場所で蔓延しがちな悪意が、一気に浄化される装置があればいいのにね。欲を言えば自分自身がそういう人間になれればいいのに。無理だとわかるからこそ余計に欲しくなるもの。
誰かの悪意を感じた時や、自分自身に悪意が湧いたとき、いろんなことが汚れて見えて、悲しい気持ちになるのだ。偽善ぶってるわけじゃない、たぶんみんなが感じたことあるはずなんだよなあ。それが悪意の力ってもんだと思う。
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